2015年 10月 08日
目に見えないものこそが
「あぁ、あぶなかった!」
と日常で思うことありませんか。
ありますよね。
あるんですわたし、よくよく。
それは単なるおっちょこちょいってわけですが、
今日も2度ほどありました。
1つめ。
車の運転中、
左折しようとしていたら直進の車がもうスピードで脇をとおりぬけ、
はっきしいってもう2センチくらいスレスレを
通っていきましたよ・・
わたしがハンドルをすこし大き目に切っていたら、
「がちゃこーん」
とおたがいベコベコの車体になっていたでしょうね。
2つめ。
帰宅したら、
ガス台の火がひとつついていた・・・!!(補足:超弱火で)
朝ホットココアを作ったときに、
ミルクを温めたんです。
そのままミルクパンを火からおろし、
スイッチを消すのを忘れたようです・・・(爆orz)
帰宅して気がついて、
かなり落ち込みました。
でも何事もなく、
まわりに燃えるものもなく、
ただ火がついていた状態ですみました。
こういうときわたしは天からの救いがあったと
大感謝します。
「感謝してる場合でねえ。自分の不注意さに反省せよ。」
というツッコミ、
後半部分はその通りだと思います。
ただわたしはまず感謝する。
大事になるところが、
なにかによって守られたのだと。
なにかが守ってくれたのだと。
自分一人の力で生きていると思うことは、
結構おこがましいのかもしれません。
わたしたちは、
なにか見えないものによって、
生かされているのだと思うのです。
(ただわたしみたいなおっちょこちょいは天も計算外かと思うけど)
神様が、
「はい、この人の人生これでおーわり」
としてしまったら、
あっという間に幕引きが起こってもおかしくない。
明日死んでもおかしくないのです。
だけど今日も朝元気に目が覚める。
朝、
いつものように起きれることが、
いつものように歩けることが、
じつはとても奇跡であるということをわたしは知る。
だからこの手と足をつかって、
天がこの世で実現したいことを、
わたしは今日もさせていただこうと思う。
天は感謝されることがとってもうれしいんだそうです。
なにかあったら感謝・感謝です。