生きたいと思うその心は

先日ラジオで。

『笑瓶ちゃん』こと笑福亭笑瓶さんの話。

彼は昨年末、ゴルフ中に心臓の痛みを覚えドクターヘリで緊急搬送されました。
病名は『急性大動脈解離』
あやうく命を落とすところだったそうです。

ドクターヘリに乗りながら尋常ではない痛みに「これはまずいかもしれない・・おれは死ぬのかもしれない」と思ったそうです。

鉄のドアが見えて、そのドアの先には階段があるようだったと。
そのドアが開いてしまったら自分がもうだめだと直感でわかったそうです。

そのとき彼が心から思ったのは、
「おれはもっと生きていたい。もっと五感で感じることをしたい。」
だったそうです。

なにか偉業を成し遂げようとか、
みんなに認められるなにかをしたいとか、
自分の使命がどうのこうのとか、
そういう大それたことではなかったのだとか。

ご飯を食べておいしいと感じたい、
風に吹かれて気持ちがいいと思いたい、
腰痛の痛みさえも感じたいと思ったのだと。

五感で感じる。

それが痛みであっても、生きているからこそ感じられるものだから尊いものだと思ったそうです。
あのドアの向こう側に行ってしまったらそこは平和な世界かもしれないけれど、
俺は二度とこの世界で感じていたものをありありと感じることはできないだろうとわかったそうです。
だから「おれはもっと生きていたい!!」と強く思ったそうです。(そうしたら助かったのだと)

彼は多分通常それほどスピリチュアリストではないと思うのですが、
もう発言そのものがスピリチュアリストでした。
とても説得力があった。

そんな彼の言葉にいたく感銘を受けました。
生きているだけで、生きていることこそがすばらしいんだなと。

生きているとなにか人から評価を受けるようなことをしなくてはいけないとか、
よりよい学校へ行くのが正解、
たくさん稼いで社会的に地位あのある仕事をするのが成功者、
なんてことが大事な価値観だと植えつけられてしまうことが多々あります。
でもそれって、その基準はなんの基準?

髪をなびかすさわやかな風を感じたかったのではない?
湯気の立った炊き立てのご飯を味わいたかったのではない?
くたくたに疲れ切った身体を、パリッと清潔なシーツでくるまれたベッドに身を委ねたかったのではない?
幼子のやわらかな手を引いて夕日とともに家路に着きたかったのではない?
だれかの腕に包まれて心からの安心感を味わいたかったのではない?

そんなことを基準にして考えると、
自分のまわりにはずいぶんとたくさんのしあわせが転がっていて、
どれほど自分が与えられているのか分かるような気がします。





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by happyachuko | 2016-05-07 17:42 | スピリチュアル☆